Q1 新しくコンサートホールを作るとしたら?
「日本には民間のホールが少ないので、もっと増えるといいなとは思いますね。ほとんどが官営なんですよ。要するに役所みたいなもので、時間にうるさいんですよね。東京の民間ホールはぜんぶクラシック専用だから、僕らみたいな音楽ではやらせてもらえないし、できないんです。東京にもひとつ、僕らがやれるような民間のホールがあったらいいんですけど」
Q2 無人島に持っていきたい1枚は?
「1枚はムリです。せめて棚一個分、ダンボール一箱分はないと」
Q3 うどんとそば、どっちが好きですか?
「もちろん、そばです。落語にもそういう話があるんだけど、祝い事のときに“そばで一杯”はあっても、うどんって具合が悪いときに食べるものでしょ、東京の場合。大阪の人にこれを言うと怒られるけどね」
Q4 子供のころの夏休みの思い出は?
「いちばん大きい思い出は富士の山頂登山ですね。2回登ったことがあるんですよ。おじが山中湖に連れていってくれて、同い年のいとこといっしょに5合目から登って。いいもんですよ、ご来光って。もう1度登りたいと思ってるんだけど、体力がどうかな…」
Q5 女性になれるとしたら、どんなファッションをしたい?
「コスプレ。変身願望ということなら非日常的なファッションのほうがいいでしょ」
Q6 注目している若手ミュージシャンはいますか?
「今回のアルバム(『Ray Of Hope』)にもフリューゲルホルンで参加してもらってるんだけど、市原ひかりというトランペットの女の子がいいですね。いままでのオヤジのジャズの概念とはまったく違っていて、フレーズが繊細だし、作曲・編曲の能力も高い。新しいアルバム(『UNITY』)も素晴らしいですよ。
ロックも聴いてはいるんだけど、若手の飛び抜けたバンドはまだ出てない気がしますね。アナーキー、ブルーハーツ、イースタンユース、ミッシェル・ガン・エレファント、ザ・バースディ、モーサム・トーンベンダーのラインが好きなんだけど、若手でそこまでのバンドはまだ知らない。勉強不足なのかもしれないけど」
Q7 好きな言葉は?
「年代によって変わるんですよ。昔は「為せば成る」だったんだけど。まぁ、それにしとこうかな」
Q8 嫌いな言葉は?
「アーティスト。自分が言われるのも嫌だし、口にするのも嫌い。いま日本で使われてたり、メディアが言ってるアーティストは、本来の意味じゃないですからね」
Q9 プロポーズの言葉は?
「僕はシャイなので、そんな言葉は言いませんでした。お互いに何となく「結婚しようか…」くらいで。歌の文句になりそうなことなんて、言いませんよ」
Q10 竹内まりやさんの曲で、いちばん好きなのは?
「難しいけど、1曲選ぶとすれば『純愛ラプソディ』かな。編曲も上手くいったしね」
Q11 おすすめの本は?
「僕は樋口一葉のファンで、日記も含めて、全作品を読破してるんです。そのなかで1冊選ぶとすると「にごりえ」かな。何百回も読んでます。
ただ、僕は人に言えるほど本を読んでるわけじゃなくて、むしろ読書コンプレックスが大きいんですよね。若いときから、本買うお金があればレコードを買ってたから」
Q12 英語の歌詞の発音が素晴らしいと思うのですが、どうやって勉強したんですか?
「何もしてないです。レコードを聴いて覚えただけ。歌えるけど、しゃべれません」
Q13 座右の銘は?
「これも年齢によって変わるんだけど、今好きなのは「心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神や守らん」という菅原道真の歌ですね。昔は「運命をあざ笑うものが幸運を手に入れるだろう」というイギリスの政治家(ベンジャミン・ディストレイ)のセリフが好きでした。格言の類が大好きなので」
Q14 いま乗っている車の車種は?
「BMW320i。20年乗ってますが、ヒューズひとつ飛んだことがない。世界中にファンがいるから、いまもパーツを売ってるし、一生乗ることになるんじゃないかな。ETCも付けたしね。“パワーのあるエンジンの小さい車”が好きで、その最高峰はポルシェだと思うんだけど、とにかく運転が難しくて。 2シーターだと家族を乗せられないし(笑)」
Q15 達郎さんのCDの音の良さを、素人にもわかるように教えてもらえますか?
「そんなに音は良くないですよ、僕のCDは。まだまだ修行が足りません。今回のアルバムはわりに良いと思うけど。でも、いい音っていうのは十人十色だし、どういう装置で聴いてるかにもよるしね。はっきり言って、“素人にもわかるように”説明することはできません」
Q16 好きな歌舞伎の演目があれば、教えてください。
「歌舞伎はほとんど見ないんだけど、ひとつ挙げるとしたら、『仮名手本忠臣蔵』。特に五段目以降かな。歌舞伎よりも人形浄瑠璃、文楽が好きなんでね」
Q17 ギターのカッティングのコツを教えてください。
「練習あるのみ」
Q18 35年前、デビュー当時の自分に何かひと言。
「いまでもなんとかなってるから、安心しろ」
Q19 現在、ギターは何本お持ちですか?
「だいぶ処分したんだけど、アコースティック、エレキ、各10本くらいかな。本当の意味のプロのギタリストではないから、そんなにたくさん持っていてもしょうがないんですよ。いまメインで使ってるテレキャスターは、30年前に友達から5万で買ったヤツだからね。ずっとサブで使ってたんだけど、だんだん良く鳴るようになって。ニューヨークで2000ドル、3000ドルで買ったギターより、ぜんぜん良い音がしてます」
Q20 好きなお酒は?
「ワイン。カリフォルニア・ワインが好きなんだけど、直接、生産者から取り寄せてるから、とても安く手に入るんです。レストランの高いワインなんて、まっぴらごめんだから。あとは日本酒、家ではスコッチを飲むこともあるかな。まぁ、酔っ払えば何でもいいんだけど」
Q21 日本以外で暮らすとしたら、どの国がいいですか?
「日本以外で暮らしたいと思ったことは一度もないんだけど、ニュージーランドとか、平穏な国がいいかな。世界情勢とは無縁の国というか。まぁ、そんなところはないんだけど」
Q22 歌唱力を維持するためにやってることは?
「特にないです。横隔膜の鍛錬のために、呼吸器を改善するための器械は使ってますけどね。“パワーブリーズ”っていう器械で、僕以外にもけっこう使ってる人がいるみたいですよ」
Q23 旅にでるとしたら?
「うーん、しばらくニューヨークに行ってないから、ニューヨークかな。あんまり旅が好きじゃないんですよ。“ウチっ子”なので」
Q24 好きな靴の種類は?
「60年代が青春だったから、サイドゴアのスエードのブーツですね。当時、ロックミュージシャンが履いてたのはほとんどコレだったので。いまもステージでも履いてますよ。そんなに高くはないんだけど、オーダーで作ってます」
Q25 朝食はごはん? パン?
「パン。ヨーグルトとパンとサラダくらいしか食べないけど。でも、そんなこと聞いてどうするんだ?!」
Q26 厄年のとき、お祓いはされましたか?
「もちろんしました。女房が出雲大社のある町の出身なんですけど、東京に分祀があって、厄払いも子どもの行事も結婚式も、全部そこでやらせてもらってます。何かあるとそこに行けばいいから、すごく助かってますね」
Q27 自分のレコード、CDをショップで買ったことは?
「ないですよ。そんな人、いるんですか?」
Q28 いちばん印象に残ってる学校の先生は?
「中学のときの音楽の先生。ブラスバンドの担任だったんだけど、ヘンな先生でね。僕らがバンドを組むと、“練習していい”って音楽室を開放してくれたんですよ。ちょっとキレてるところもあったけど、印象に残ってるのはその方くらいですね。その先生は高知の出身で、“南国土佐を後にして”という歌は、先生が芸大に入るとき、お師匠さんにあたる武政英策が彼を送り出すために作ったんですよ」
Q29 最後の晩餐には何を食べますか?
「鰻。昔は幼少に貧しかった人は、鰻かエビフライって相場が決まってたんです」
Q30 ライブで演奏していて楽しい曲は?
「自分の曲を楽しんで演奏したことなんて、一度もないですね。人に聴かせるものだから、自分が楽しんでちゃいけないので。しかも僕はバンマスだから、ずっと後ろのことを気にしてるんですよ。あいつ、ちゃんと段取り通りやってるかな? って」
Q31 新しくなった大阪フェスティバルホールでもライブをやってくれますか?
「もちろん! 根性入ってるらしいから、楽しみにしてますよ。キャパも同じだし、模型を使った風洞実験も続けてるらしくて。さんざんっぱら文句を言った甲斐がありました(笑)」
Q32 ゴルゴ13に何か頼むとしたら?
「人殺しはやめて、早く引退しなさい」
Q33 これからやってみたい楽器は?
「50を過ぎたら三味線をやろうと思って、早8年経ってしまいました。老後はのんびりライブをやって、あとは三味線でもやろうと思ってたんだけど、何だか忙しくなってしまって。でも、ホントにやりたいんだよね。三味線を弾きながら、都々逸とか小唄とか」
Q34 『新・東京ラプソディ』に出てくる自転車は、なぜ黄色ではなく、緑色なのでしょう?
「単なる語呂合わせですよ。“○○○色”にしようと思って、最初はドドメ色しか思いつかなかったんだけど(笑)、イントネーションがきれいだったのが緑色だっただけ。この質問、お客さん(ファン)でしょ? そんなね、深い意味なんてないんですよ。ボブ・ディランの歌詞を深読みしたがる人たちをディラニストって言うんだけど、ボブ・ディランも嫌がってるみたいだし。緑色の自転車はきれいだけどね」
Q35 アルバム『RIDE ON TIME』発売時、秋のキャンペーン広告を十勝岳で撮影したときのエピソードを教えてください。
「なにしろ噴煙のなかでの撮影ですから、肌がボロボロになるんです。岩に座ってると、ジーンズが硫黄で溶けてくるし。しかも、僕の大嫌いなトレンチコートを着させられて。大喧嘩しました」
Q36 コンビニに行くことはありますか?
「毎日のように行ってますよ。この質問は要するに、執事か何かがいて、“あれ買ってこい”とか言ってるのでは? ってことでしょ。バカバカしい」
Q37 誰とでもデュエットできるとしたら?
「原節子。ロニー・スペクターもいいかな。でも、やっぱり原節子。そっちのほうがシャレになる(笑)」
Q38 ミュージシャンになってなかったら、何をしていましたか?
「天文学者になりたかったんですよね。星を見て暮らしたかったので。でも、高校をドロップアウトしちゃったから、そっちには行けなくなって。あとは音楽出版社かレコード・プロデューサー。そうじゃなきゃ、ホームレスですね。でも、いまさら“ミュージシャンになってなかったら”なんて聞かれてもわかんないよ」
Q39 これからバンドを組むとしたら、バンド名はどうする?
「バンドに興味がないんです。シュガー・ベイブ解散のとき“二度とバンドは作るまい”と思って、それ以来、35年間ソロでやってきたので。ライブのときのバンドにも名前をつけたことがないんだけど、それは僕の考え方の表れなんですよね。アカペラのコーラス・グループをやってみたい、という気持ちはいまでもありますけどね」
Q40 音楽を志す若者へのひと言。
「プロになりたいんだったら、契約概念を把握しておくこと。金の話を避けて通ると、あとで必ず、大変なことになりますから。音楽的なことで言えば、自分がやりたいことをどれだけ貫徹できるか、ですね」
Q41 何十年も聴き継がれる名曲と、数ヵ月で消費される曲の違いは?
「運、不運でしょう。いい曲であっても、歴史のなかに埋もれているものはいくらでもあるし。恣意的なものなんですよ、スタンダードと言っても。『クリスマス・イブ』だって、JR東海のCMがなければ、“『MELODIES』のなかの1曲”だったんだから。そんなもんですよ」
Q42 制作に行き詰ったとき、どうしますか?
「酒飲んで寝ますね」
Q43 ツアーで訪れた街で、印象に残ってるのは?
「ホテルと会場だけで、街を見るほど動かないですからね。物見遊山ではないので」
Q44 プロになろうと思ったきっかけは?
「ありません。事故です。高校をドロップアウトして、大学も3ヵ月で辞めて。音楽しかやることがなかったんですね」
Q45 好きなドーナツ
「ハニーディップかな」
Q46 アルバムを作っていて「これでOK!」と判断するポイントは?
「こっちが聞きたいよ(笑)。僕はとにかく、最後の1分、1秒まであがく人間なので。OKなんか出したことないですよ。“ここで時間です”と言われて、諦めるだけで」
Q47 曲作りのヒントを得るために、意識的にやってることはありますか?
「なるべくたくさんの異業種の人と接する。映画とか本とかは当たり前のことなんだけど、自分が知らない世界で働いている人たちの話がいちばん新鮮なんですよね。“OLが男と別れた”という話のほうが、有名人の恋愛沙汰なんかよりもよっぽど歌になるので」
Q48 いまの夢は何ですか?
「夢って言ってもねえ…。三味線やクレー射撃をやってみたいけど、それは夢じゃないからね。まぁ、“あと何枚アルバムを作れるか、あと何曲作れるか?”ということでしょうね」
Q49 音楽家として、やり残していることはありますか?
「数限りなくありますよ。僕は因果な性格でね、アルバムを作り終わったときは強烈な自己嫌悪に陥るんです。20代、30代のときなんて、“何てモノを作っちゃったんだ。これで俺の音楽人生は終わりだ”と思ってましたから。でも、次に作るときは、前のほうが良く聴こえるっていう。この年齢になると前向きな諦観がありますから、そこまで落ち込むことはないですけどね。でも、1年くらいは聴かないかな」
Q50 タイムマシンに乗れるとしたら、どの時代に行きたい?
「歴史上、もっとも平穏な時代を生きてこられたと思っているので、ほかのどの時代にも行きたくないです。“無人島の1枚”と同じで、価値のある質問ではないですね。すいませんね、理屈っぽくて」
Q51 おすすめの戦前の日本映画は?
「山中貞雄の『人情紙風船』。これは人生の1本ですね。この映画が作られた昭和12年に赤紙が来て、13年に中国戦線で赤痢で死んじゃうんです。もし生きていたら、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと並ぶ大監督になったでしょうね」
Q52 小笠原拓海さん(ドラム)を採用した決め手は何だったんですか?
「テクニックと人格。それが一致するミュージシャンは、なかなかいないですから。長くやっていくためには、人間性も非常に大事です。イケメンだから“オバサンに騙されるなよ”って言ってるんだけど(笑)」
Q53 オールディーズ・ソングを好きになったきっかけは?
「FENです。ジム・ピューターという有名なDJがいて、土曜日の夕方5時から“ジム・ピューターズ・ショー”というオールディーズの番組をやってたんです。それを毎週テープに録って聴いてたんですけど、あるとき、R&Bボーカル・グループ・スペシャルということで、ドゥ・ワップの特集があって。それが僕の人生を変えました」
Q54 昨年、ライジング・サンに出演されたときの感想を教えてください。
「お客さんが素晴らしかった。若いころバンドをやってたときのサブカルチャー、ロックの空気を持ってる人たちがたくさんいて、“なんだ、ちゃんとロックがあるじゃん”って思ったんですよね。しかも老若男女でしょ。それはすごく安心しましたね。今年は出られないですけど、ぜひ、また出たいと思ってます」
Q55 自宅にあるプラモデルの数はどれくらい?
「10個から15個くらい、未完成のまま山積みになってますね。第2次大戦の戦闘機、爆撃機だけなんですけど、最近、ぜんぜん作れてないんですよね。エアブラシを使うから、表でやらなきゃいけないんですよ。そうすると人が覗くし、庭でやろうとすると“汚れるからやめて”って言われるし」
Q56 ライブ前に口にされるものは?
「水だけですね。ライブ本番の3時間前からは、まったく食べません」
Q57 「こいつには絶対かなわん!」と思ったミュージシャンはいますか?
「そんなもん、いっぱいいますよ! 自分の歌が上手いと思ったことだって、一度もないですから。ある特定の狭いジャンルにおいては、日本では比較的上手いかな、とは思うけど。B.J.トーマスとかね。でも、そんなの歌っても誰も喜んでくれないでしょ?」
Q58 ボーカロイドについてどう思いますか?
「好きにやればいいんじゃないですか」
Q59 “サンソン”(ラジオ番組『サンデー・ソングブック』)は仕事の域を超えてると思いますが、番組への思いを聞かせてもらえますか?
「道楽と啓蒙ですかね。番組のためにレコードを買ったりもしてるんですけど、オールディーズ番組も少なくなって、すべて引き受けてるような状況なので」
Q60 ラジオDJの楽しさとは?
「「好きな音楽といっしょにいられること。それを電波の向こうの誰かと共有できることかな。ラジオって基本的に1対1のメディアなんですよ。僕がかつて糸井五郎さん、福田一郎さんに抱いていたのと同じ思いを、リスナーが僕に対して発してくれるっていう。ときどき向こうが教えてくれることもあって、それはじつに音楽的な瞬間なんですよね。もちろん、そういう番組を作っていかなくちゃいけないんですけどね」」
Q61 音楽を生業にして良かったと思うこと、「これはちょっと…」と思うことは??
「音楽は嘘をつきませんから、人間と付き合っているよりもずっといいですよ。ただ、こういう商売をやってると、他人から“芸能人”と思われることがあって、そのことは“これはちょっと…”ですね。僕は自分では社会性、常識を持っていると思ってるんですけど、“やっぱり芸能人だから”って言われることもあるし」
Q62 1日のうちでいちばんリラックスできる時間は?
「レコードの整理をしてるとき」
Q63 ご自宅の音響システムで、今後改善したいところは?
「デジタルとアナログは両立できないんです、突き詰めると。ウチの場合はシングルとLPをかけるためにしかチューンアップされてないので、CDだと音が割れちゃう。だから本当は2セット必要なんですけど、狭くてとても無理なんですよね」
Q64 なるべくいい音で音楽を聴きたいという人に対して、まず、どこから手をつければいい?
「デジタルは金をかければかけるほどいい音になるんですよ、悲しいことに。アナログはそうじゃないんですけどね。結論としては、お金を貯めて、いいものを買ってくださいということですね。“コスパが良くて、いい音”ってデジタルではありえないので」
Q65 ニュー・アルバム『Ray Of Hope』。タイトルに込めた思いとは?
「当初は『WooHoo(ウーフー)』というタイトルだったんですが、東日本大震災があったので、このタイトルに変えました。震災の後、『希望という名の光』をたくさんオンエアしていただいたということもありますし、人の心に寄り添いたい、という思いもあって」
Q66 制作期間はどれくらいですか?
「延べ3年ですけど、その間に2回ツアーがあったので、実質的には1年半弱ですね。ツアーのスケジュールもタイトだったし、シングルも5枚出さされたので(笑)、アルバムの制作ということで言えば、年末から年始にかけてバタバタとやってた感じです。本当は6月に発売する予定だったんですけど、震災後の電源が不安定だったこともあり、2ヵ月遅らせてもらいました」
Q67 「若いころは生身の人間を歌うのが嫌いだった」ということですが、その理由は?
「まず、もともと人間が嫌いということですね。僕がバンドを作ったのは’70年代ですが、ちょうど四畳半フォークが全盛で、そういうチンケな人間関係の歌が嫌いだったんです。僕がやっているのは完全に洋楽志向であって、要は英語のメロディなんですよね。当然、そこに乗せる言葉の選び方が重要になるんですが、あまり言葉に意味を持たせると、音の色彩感が阻害される。だから人間のことよりも、季節や自然のことを歌うようになったっていう。僕の歌詞のテーマを大きく言うと、都市生活者の孤独、疎外。でも、都会にも雨は降るし、風は吹く。そういうことに興味があったんですよね」
「ただ、58歳にもなると、人の生き死についても、否応なしに体験することになる。するとどうしても、人の心だったり、生きること、生きていくことに着眼するようになってくるんですよね」
Q68 震災後、曲作りにはどんな変化がありましたか?
「うーん、どう答えたらいいのか…。まず、36年もやってきたことは、そう簡単に変えられないんですよね。短期的には変わりますよ。たとえば今回のアルバムでも、“ネガティブな歌は入れないほうがいい”と思って、入れる曲を変えたりしたし。ただ、長期的には変わらないと思います。変わるのは世の中のほうだから、自分がやっている音楽技法がこのまま同じように受け入れられるのか? という問題はありますけどね」
Q69 デジタル録音の利点、難しさとは?
「アナログは磁気ですから、録音した瞬間から劣化が始まり、音が変わっていきます。でもデジタルは経年変化がないから、そこは便利ですよね。難しさとしては、ダイナミックレンジが向上したことによって、歪みが生じないということ。歪みってじつは重要で、それが音のエネルギーにつながってるんです。デジタルだと何でも優しくなっちゃう。繊細な音楽をやるんだったらいいけど、僕らみたいな音楽の場合、何て言うか、ガッツがなくなっちゃうんですよね。それをどう克服するか? ですよね」
Q70 音楽が担う役割は今後、どう変化していくと思われますか?
「パッケージが衰退して、商品としての音楽の存続基盤が崩壊しつつありますよね。Youtubeやニコ動で見られるわけだから、若い子は音楽にお金を払わない。それは当たり前だと思うんですよ、僕だってそうするだろうし。この状況が進んでいくと、レコードが発売される以前の状態に戻るんじゃないですか? 音楽でお金を稼ぐには、実演しかないという。昔のダンスパーティーとか、生演奏で踊るっていうことが盛んになってくるかもしれない。そういう意味では、ダンスと音楽が不可分になっている現状は、当然の結果でしょうね。まぁ、もう少し見ていかないと、最終的な結論はわかりませんが」
Q71 次のアルバムはどんな内容にしたい?
「もうちょっとアップテンポの曲を増やしたい。ファンクだったり、ギターのリフだったり、そういうところに戻っていきたいと思っているので。次回はまだ無理かもしれないけど、すべて生でやりたいんですよね。それが出来れば、一応、原点回帰と言えるのかな、と」
Q72 今年もツアーが開催されます。ここ数年、ライブへのモチベーションが高まってる理由は?
「音楽業界がこういう状態だから、だったらライブかなっていう。モチベーションというよりも、“この先、自分は何をやっていくべきか”を考えた結果ですね。一昨年は50本、去年は“35周年だから35本”っていうくだらないことを考えたんだけど、結局40本やって。今年は80年代くらいの規模にまで戻る予定です。もともとライブで始まった人間だから、そこに戻るということですね。少なくとも還暦までは毎年やるつもりです」
Q73 そもそもライブは好きですか?
「嫌いだったらやらないでしょ」
Q74 中野サンプラザを好む理由は?
「30年ずっとやってきて、時間の融通が利くから。遅くまでやっても、文句言われないんですよ。それだけです」
Q75 AKB48についてどう思いますか?
「僕の人生に必要ありません。向こうも同じだろうけど(笑)」
Q76 東京の好きなところは?
「好きなところ、あるのかな…。生まれたところだから、しょうがないですよ」
Q77 東京の嫌いなところは?
「アジアの都市の特徴ですが、スクラップ・アンド・ビルドが激しすぎる。しょうがないんですけどね、紙と木の文化だから。それにしても無計画ですよね。だから、『俺の空』(『Ray Of Hope』収録。無計画な都市政策への批判を込めた歌詞のファンク・チューン)という曲が出来た」
Q78 好きなテレビ番組は?
「日本の話芸」
Q79 朝起きたらまず何をしますか?
「トイレに行きます」
Q80 初めて買ったレコードは?
「ベンチャーズの“クルーエル・シー”。EPのコンパクト盤。中学1年でした」
Q81 初めて行ったライブは?
「ベンチャーズ。中学1年でした」
Q82 最近買ったCDは?
「メアリー・メアリー(“サムシング・ビッグ”)かな。ゴスペルの姉妹デュオなんですけど、すごく良くて。あとはキャンディ・ステイトンのフェイム・レコーディングのコンプリートと古今亭円菊師匠のボックス」
Q83 クリスマス・イブは毎年どんなふうに過ごしてますか?
「自宅で家族といっしょに。仕事は入れないようにして」
Q84 現在、レコードは何枚くらい持ってますか?
「CD、LP、シングル合わせて6万枚くらい」
Q85 これだけは欠かさないという毎日の習慣は?
「さっき言った“パワーブリーズ”、鼻うがい、下半身浴、あとはサプリメントかな。乳酸菌とか」
Q86 インドア派? アウトドア派?
「完全なインドアです」
Q87 いままで行った国で、どこがいちばん好きですか?
「国というより都市なんですが、やっぱりパリかな。“これが都市なんだな”という印象がすごくあったので。ニューヨークもそうですけど、50年経っても変わらないっていうのは魅力ですよね」
Q88 曲はどんなときに生まれやすい?
「作ろうと思って作る人なので、ピアノの前に座って作ります。風呂場で思いついたとか、そういうのは一切ない」
Q89 3・11の震災当日、何をされてましたか?
「スタジオでレコーディングしてましたね。『NEVER GROW OLD』のドラムのダビングをしてました」
Q90 好きな“なぞかけ”はありますか?
「なぞかけって、“何とかとかけて”っていうやつ? うーん、小噺だったらあるんだけどね、好きなのが。“あなた、この扇風機、首が回らないわよ”“当たり前じゃないか、借金で買ったんだから”とか。春風亭柳昇師匠の枕なんですけど」
Q91 父親としての山下達郎は、どんな人物ですか?
「ウチの娘が中学のとき、学校で“両親について、ひとこと書く”っていうのがあって。そのとき娘が書いたのが“ウザイけど、ときどき使える”っていう(笑)。これ、なかなか名言だと思いますよ」
Q92 全国ツアー中に食べたおいしいもの、思い出に残ってる郷土料理は?
「僕のライブは終演時間が遅いから、そんなに食うものがなかったんですよね。郷土料理じゃないけど、博多のとんこつラーメンのホントに美味しい店に行ったことがあって、そのときは“世の中にこんなに美味いラーメンがあるのか!”と思いましたね。あまりの美味さに2杯食べてしまったのは、そのときだけ。今もあるのかなあ、あの店」
Q93 達郎さんにとって、粋とは?
「難しいなあ…。粋とは、我慢でしょ。見栄と我慢」
Q94 達郎さんと同世代の人に向けてメッセージをお願いします。
「ベタですけど、“大変な時代になりましたが、お互いがんばりましょう”ということですね」
Q95 では、下の世代の人に向けてひとこと。
「ジジイの御託には耳を貸すな」
Q96 好きな女性のタイプは?
「髪が長くて、細身の人」
Q97 気の合う男性のタイプは?
「謙虚な教養人、かな」
Q98 ぴあの表紙になったときの感想は?
「やめてほしかった」
Q99 ぴあ休刊にひとことお願いします。
「お世話になりました。30年、定期購読してたんですよ。無声映画鑑賞会の情報なんて、ぴあじゃないとわからなかったし。役割は大きいと思いますよ。ただ、“ぴあテン”“もあテン”には残念ながら、1回も入ることがなかったですね。ニーズが違うんでしょうね、きっと。これ、書いておいてくださいよ」
Q100 最近、いちばん笑ったことは?
「春風亭柳昇師匠のCD4枚組『にっかん飛切落語会 特撰 春風亭柳昇』」